2010.08.14
河口湖自動車博物館
河口湖自動車博物館へ行ってきました。
行く前に私が持っていたイメージは、クルマが無造作に並べられた
混沌とした所ではないかと思っていたのですが、
博物館と呼べるしっかりした内容のところでした。
館内はホールAとホールBの2つのスペースに分けられていて、
ホールAは1986年~1950年までの
自動車の発展に重要な役割を果たしたクルマをメインに展示しています。
ホールBは1950年~2000年までのクルマが展示されていますが、
スーパーカーなども多く、客寄せ的要素が強くなっています。
今回は夏休みということで自動車の発展に重要な役割を果たしたクルマを
自由研究風にまとめてみました。

パテント・モトールヴァーゲン(1886年)

世界で最初のガソリンエンジンの自動車
1886年にカール・ベンツが作ったパテント・モトールヴァーゲン
この個体はどうか分かりませんが、ダイムラー・ベンツはこのレプリカを作って
世界中の博物館に配布しているそうです。
ベンツより先にダイムラーはガソリンエンジンの2輪車を開発していて、
この二人がガソリン自動車の父と言えます。
1926年にダイムラーとベンツは合併してダイムラー・ベンツとなりました。
現在はなぜかベンツの名前が無くなり、単にダイムラーと社名を変更しました。
最近のTV-CMでも『自動車の父ダイムラー』と言っています。
ちなみにメルセデスとは1902年にダイムラー社から商標登録された商品名で、
ディーラーの経営者の娘の名前から取ったものです。
メルセデスの妹の名前をつけたマーヤというモデルもありました。
ガソリンエンジンでないとすると
1771年にフランスのキュニョーが作った三輪蒸気車が世界初の自動車と言えるでしょう。
試走行のとき壁に激突するという事故を起こし、これが世界初の自動車事故でした。
プジョー(1902年)

フロントエンジン、シャフトドライブの形式を持った世界初の自動車
プジョーが最初にガソリンエンジンの自動車を作ったのは1890年で、
そのときのエンジンはダイムラーのものを使用しています。
パナール・エ・ルヴァソール

フロントエンジン、リアドライブの形式を初めて作ったのは、
同じフランスのパナール・エ・ルヴァソールで、
これが世界初のFRの自動車とされています。
1891年のことです。
この方式のことをシステム・パナールと言い、
このときの後輪へのドライブは皮ベルトを使用していました。
エンジンはダイムラーのものを使用しています。
パナールは1965年にシトロエンに吸収されてしまい現在は自動車を製造していません。
上の写真はトヨタ博物館で撮ったもので、世界初のFR車のその後のモデルです。
フォード・T型(1908年)

これは河口湖自動車博物館にあったのかなぁ?
とにかく私が撮った写真の中にはありませんでした。
この写真はトヨタ博物館で撮ったものです。
世界初の大量生産された自動車として誰でも名前を知っているクルマだと思います。
世界初のベルトコンベアによる本格的な大量生産が始まったのは1913年。
T型の総生産台数は約1500万台。
クルマが悪ければ大量に売れる訳はなく、クルマも良くできていたようで
変速機はATの様に簡単に操作出来るものでした。
大量生産により車両の価格は下がり、工場従業員の労働時間は減り、
賃金は上がり良いことずくめだったようです。
ちなみにヘンリー・フォードが現在のフォード社の前に立ち上げた会社を
ヘンリー・マーティン・リーランドという人が引き取って作ったのがキャデラックです。
その後キャデラックをGMに売り、リーランドが次に作ったのがリンカーンです。
その後、リンカーンはフォードに買収されます。
つまり現在はライバル会社であるキャデラックとリンカーンは、
同一人物が作った兄弟会社だったんですね。
ランチア・ラムダ(1922年)

1922年、世界で初めてモノコックボディを採用した自動車です。
手元の資料の写真を見ると鉄板をくりぬいたような車体で、
かなりフレーム構造に近いような感じに見えます。
エンジンは狭角V4(フルビアのエンジンの原型かな?)
写真のクルマは白洲次郎氏の愛用車だったようです。
オースチン・セブン(1922年)

フォード・T型にはまったく及びませんが、
小型軽量で安価な大衆車として世界中で大ヒットしました。
1922年に発売され1939年の生産終了までに約29万台が生産された。
このクルマは現在の有名メーカーの創世にも役立っています。
BMWはライセンス生産をし、
ジャガーはこのクルマに特別のボディを仕立てて販売、
ロータスの1号車Mk1はこのクルマがベースです。
その他フランス、アメリカでもライセンス生産されました。
水色のクルマは日本で生産されたそうです。
シトロエン・7CV トラクシオン・アヴァン(1934年)

FF,油圧ブレーキ、ラック&ピニオン、モノコックボディなど
当時の最先端の技術を集めて作られ、
現代のクルマの基本構成を作り上げ、普及させた自動車。
25年間にわたって作られました。
ちなみにフランス車の名前に多いCVとは排気量と車体重量に応じた課税区分のこと。
CVの前に付いた数字が大きいほど排気量と重量が大きく税金も高いというわけ。
フォルクスワーゲン(1938年)

ダイムラーやシュタイアなどを渡り歩いた
自動車設計者フェルディナント・ポルシェの小型車構想と
ヒトラーの国民車構想が結びついて出来上がったメーカーでありモデル。
1938年に試作車KdFヴァーゲンが完成したが、
本格的に生産が始まるのは第二次大戦後。
第二次大戦中仕事を選ばなかったフェルディナント・ポルシェは
兵器などの設計をしたため戦後戦犯として収監されてしまう。
ポルシェ356(1948年)

フェルディナント・ポルシェの息子フェルディナンド・アントン・エルンスト・ポルシェ、
通称フェリー・ポルシェがワーゲンのコンポーネントを利用して作り、
現在のポルシェの礎となったモデル。
エンジンは、ワーゲン用を強化した空冷水平対向4気筒OHVです。
ポルシェ家では長男の名前にフェルディナントを付けるのでややこしい。
間違えやすいですがワーゲン(ビートル)の設計者とポルシェ(356)の設計者は
親子であるが別人です。
さらにややこしいのはフェリー・ポルシェの息子もフェルディナンドであること。
こちらは911のデザインをし、デザイン会社を立ち上げています。
いわゆるポルシェデザインというヤツ。
さらに付け加えるとフェルディナント・ポルシェの娘の長男が、
ワーゲンとポルシェを支配するフェルディナント・ピエヒです。
オースチン・セブン(ミニ)(1959年)

発売当初の車名はミニではなく、オースチン・セブン、モーリス・ミニ・マイナーでした。
1959年から2000年まで生産されました。
ミニは現在の小型車では常識のパッケージングを最初に採用した自動車です。
それは横置きエンジン、前輪駆動、2ボックススタイル、
わずか3メートルほどの全長のクルマに大人4人が乗れるという室内など。
ただFF横置きエンジンといっても現在のクルマとは若干レイアウトが変わっています。
エンジンの下にトランスミッションを置くという2階建て構造になっていて、
ラジエターも横向きに設置されています。
エンジンとトランスミッションを2階建てにする構造のことをイシゴニス方式といいます。
現在のFF車で一般的なレイアウトは
エンジンとトランスミッションを直列にして横向きにしたもの、
これをジアコーサ方式と呼びます。
最初のジアコーサ方式のFF車は、1964年に発売されたアウトビアンキ・プリムラです。
イシゴニスとはミニを開発したアレック・イシゴニスのことで、
ジアコーサとはフィアット500などを開発してことで有名なダンテ・ジアコーサのことです。
ミニはサスペンションも独自のものを採用しています。
アレックス・モールトンが開発した
金属製バネの代わりに円錐状のゴムを使ったサスペンションです。
アレックス・モールトンは、自転車で有名です。
アレックス・モールトンの自転車は、
リアのサスペンションはゴム製のバネを用いたものになっています。

この写真は今年のニューイヤーミーティングで撮ったものです。
これは子供用のモールトンで、非常に貴重なものらしいです。
でもモールトンといういとマセラティ・バードケージのように
細い鋼管を組み合わせたフレームの方が有名ですかね。
日産初のFF車チェリー(1970年)はイシゴニス方式です。
トヨタ初のFF車ターセル&コルサ(1978年)は、なんと縦置きエンジンのFFです。
FRから乗り換えてもあまり違和感がないようにという考えから、
この方式が採用されたようです。
現在縦置きのFFはアウディやスバルが採用していますが、
4WDにしやすいために採用しているのだと思います。
日産・ダットサン15型(1936年)

日本で初めて本格的ラインで生産された自動車
日産自動車の前身は1911年に設立された快進社
その後色々変遷があって、1934年に社名を日産自動車に変更しました。
快進社が作ったのがダット号(設立者3人のイニシャルから銘々)
その後社名がダット自動車製造となり、
その時作ったクルマがダット号の息子ということで
ダットソン(DATSON)として1931年に発売
しかしダットソンでは損に通じるからDATSUNに変更しました。
ちなみに最初の純国産ガソリン自動車は1907年に
山内駒之助よって作られました。
トヨタは1935年にA1型という最初の乗用車を試作し、
同じ年にG1型トラックを発売しました。
スバル360(1958年)

1955年に日本政府にから発表された国民車構想にのっとって初めて作られたのがコレ。
1958年発売。
国民車構想とは「定員4名または2名、最高時速100km以上、価格25万以下」など
の条件を満たした自動車を作って日本に自動車を普及させようというものです。
スバル360の価格は、この条件を満たせず42万5千円でした。
夏休みの自由研究はここまで
ココの一番の目玉はコレ
チゼータ
何だかんだと書いてきましたが、これが見たくてここに来たワケです。


フェラーリ・330GT・2+2
1963年に日本に初めて輸入されたフェラーリらしいです。

マセラティ・クワトロポルテ

シトロエンSM

アルファロメオ
ギアによる試作車
世界で初めてフェンダーとボディをツライチにしたクルマらしいです。


この他フェラーリ275GTB、デイトナ、BB、F40、F50、
カウンタック、ランチア・ラリーなどがあり、かなり見応えがありますが、
開館しているのは8月のみです。
行く前に私が持っていたイメージは、クルマが無造作に並べられた
混沌とした所ではないかと思っていたのですが、
博物館と呼べるしっかりした内容のところでした。
館内はホールAとホールBの2つのスペースに分けられていて、
ホールAは1986年~1950年までの
自動車の発展に重要な役割を果たしたクルマをメインに展示しています。
ホールBは1950年~2000年までのクルマが展示されていますが、
スーパーカーなども多く、客寄せ的要素が強くなっています。
今回は夏休みということで自動車の発展に重要な役割を果たしたクルマを
自由研究風にまとめてみました。

パテント・モトールヴァーゲン(1886年)

世界で最初のガソリンエンジンの自動車
1886年にカール・ベンツが作ったパテント・モトールヴァーゲン
この個体はどうか分かりませんが、ダイムラー・ベンツはこのレプリカを作って
世界中の博物館に配布しているそうです。
ベンツより先にダイムラーはガソリンエンジンの2輪車を開発していて、
この二人がガソリン自動車の父と言えます。
1926年にダイムラーとベンツは合併してダイムラー・ベンツとなりました。
現在はなぜかベンツの名前が無くなり、単にダイムラーと社名を変更しました。
最近のTV-CMでも『自動車の父ダイムラー』と言っています。
ちなみにメルセデスとは1902年にダイムラー社から商標登録された商品名で、
ディーラーの経営者の娘の名前から取ったものです。
メルセデスの妹の名前をつけたマーヤというモデルもありました。
ガソリンエンジンでないとすると
1771年にフランスのキュニョーが作った三輪蒸気車が世界初の自動車と言えるでしょう。
試走行のとき壁に激突するという事故を起こし、これが世界初の自動車事故でした。
プジョー(1902年)

フロントエンジン、シャフトドライブの形式を持った世界初の自動車
プジョーが最初にガソリンエンジンの自動車を作ったのは1890年で、
そのときのエンジンはダイムラーのものを使用しています。
パナール・エ・ルヴァソール

フロントエンジン、リアドライブの形式を初めて作ったのは、
同じフランスのパナール・エ・ルヴァソールで、
これが世界初のFRの自動車とされています。
1891年のことです。
この方式のことをシステム・パナールと言い、
このときの後輪へのドライブは皮ベルトを使用していました。
エンジンはダイムラーのものを使用しています。
パナールは1965年にシトロエンに吸収されてしまい現在は自動車を製造していません。
上の写真はトヨタ博物館で撮ったもので、世界初のFR車のその後のモデルです。
フォード・T型(1908年)

これは河口湖自動車博物館にあったのかなぁ?
とにかく私が撮った写真の中にはありませんでした。
この写真はトヨタ博物館で撮ったものです。
世界初の大量生産された自動車として誰でも名前を知っているクルマだと思います。
世界初のベルトコンベアによる本格的な大量生産が始まったのは1913年。
T型の総生産台数は約1500万台。
クルマが悪ければ大量に売れる訳はなく、クルマも良くできていたようで
変速機はATの様に簡単に操作出来るものでした。
大量生産により車両の価格は下がり、工場従業員の労働時間は減り、
賃金は上がり良いことずくめだったようです。
ちなみにヘンリー・フォードが現在のフォード社の前に立ち上げた会社を
ヘンリー・マーティン・リーランドという人が引き取って作ったのがキャデラックです。
その後キャデラックをGMに売り、リーランドが次に作ったのがリンカーンです。
その後、リンカーンはフォードに買収されます。
つまり現在はライバル会社であるキャデラックとリンカーンは、
同一人物が作った兄弟会社だったんですね。
ランチア・ラムダ(1922年)

1922年、世界で初めてモノコックボディを採用した自動車です。
手元の資料の写真を見ると鉄板をくりぬいたような車体で、
かなりフレーム構造に近いような感じに見えます。
エンジンは狭角V4(フルビアのエンジンの原型かな?)
写真のクルマは白洲次郎氏の愛用車だったようです。
オースチン・セブン(1922年)

フォード・T型にはまったく及びませんが、
小型軽量で安価な大衆車として世界中で大ヒットしました。
1922年に発売され1939年の生産終了までに約29万台が生産された。
このクルマは現在の有名メーカーの創世にも役立っています。
BMWはライセンス生産をし、
ジャガーはこのクルマに特別のボディを仕立てて販売、
ロータスの1号車Mk1はこのクルマがベースです。
その他フランス、アメリカでもライセンス生産されました。
水色のクルマは日本で生産されたそうです。
シトロエン・7CV トラクシオン・アヴァン(1934年)

FF,油圧ブレーキ、ラック&ピニオン、モノコックボディなど
当時の最先端の技術を集めて作られ、
現代のクルマの基本構成を作り上げ、普及させた自動車。
25年間にわたって作られました。
ちなみにフランス車の名前に多いCVとは排気量と車体重量に応じた課税区分のこと。
CVの前に付いた数字が大きいほど排気量と重量が大きく税金も高いというわけ。
フォルクスワーゲン(1938年)

ダイムラーやシュタイアなどを渡り歩いた
自動車設計者フェルディナント・ポルシェの小型車構想と
ヒトラーの国民車構想が結びついて出来上がったメーカーでありモデル。
1938年に試作車KdFヴァーゲンが完成したが、
本格的に生産が始まるのは第二次大戦後。
第二次大戦中仕事を選ばなかったフェルディナント・ポルシェは
兵器などの設計をしたため戦後戦犯として収監されてしまう。
ポルシェ356(1948年)

フェルディナント・ポルシェの息子フェルディナンド・アントン・エルンスト・ポルシェ、
通称フェリー・ポルシェがワーゲンのコンポーネントを利用して作り、
現在のポルシェの礎となったモデル。
エンジンは、ワーゲン用を強化した空冷水平対向4気筒OHVです。
ポルシェ家では長男の名前にフェルディナントを付けるのでややこしい。
間違えやすいですがワーゲン(ビートル)の設計者とポルシェ(356)の設計者は
親子であるが別人です。
さらにややこしいのはフェリー・ポルシェの息子もフェルディナンドであること。
こちらは911のデザインをし、デザイン会社を立ち上げています。
いわゆるポルシェデザインというヤツ。
さらに付け加えるとフェルディナント・ポルシェの娘の長男が、
ワーゲンとポルシェを支配するフェルディナント・ピエヒです。
オースチン・セブン(ミニ)(1959年)

発売当初の車名はミニではなく、オースチン・セブン、モーリス・ミニ・マイナーでした。
1959年から2000年まで生産されました。
ミニは現在の小型車では常識のパッケージングを最初に採用した自動車です。
それは横置きエンジン、前輪駆動、2ボックススタイル、
わずか3メートルほどの全長のクルマに大人4人が乗れるという室内など。
ただFF横置きエンジンといっても現在のクルマとは若干レイアウトが変わっています。
エンジンの下にトランスミッションを置くという2階建て構造になっていて、
ラジエターも横向きに設置されています。
エンジンとトランスミッションを2階建てにする構造のことをイシゴニス方式といいます。
現在のFF車で一般的なレイアウトは
エンジンとトランスミッションを直列にして横向きにしたもの、
これをジアコーサ方式と呼びます。
最初のジアコーサ方式のFF車は、1964年に発売されたアウトビアンキ・プリムラです。
イシゴニスとはミニを開発したアレック・イシゴニスのことで、
ジアコーサとはフィアット500などを開発してことで有名なダンテ・ジアコーサのことです。
ミニはサスペンションも独自のものを採用しています。
アレックス・モールトンが開発した
金属製バネの代わりに円錐状のゴムを使ったサスペンションです。
アレックス・モールトンは、自転車で有名です。
アレックス・モールトンの自転車は、
リアのサスペンションはゴム製のバネを用いたものになっています。

この写真は今年のニューイヤーミーティングで撮ったものです。
これは子供用のモールトンで、非常に貴重なものらしいです。
でもモールトンといういとマセラティ・バードケージのように
細い鋼管を組み合わせたフレームの方が有名ですかね。
日産初のFF車チェリー(1970年)はイシゴニス方式です。
トヨタ初のFF車ターセル&コルサ(1978年)は、なんと縦置きエンジンのFFです。
FRから乗り換えてもあまり違和感がないようにという考えから、
この方式が採用されたようです。
現在縦置きのFFはアウディやスバルが採用していますが、
4WDにしやすいために採用しているのだと思います。
日産・ダットサン15型(1936年)

日本で初めて本格的ラインで生産された自動車
日産自動車の前身は1911年に設立された快進社
その後色々変遷があって、1934年に社名を日産自動車に変更しました。
快進社が作ったのがダット号(設立者3人のイニシャルから銘々)
その後社名がダット自動車製造となり、
その時作ったクルマがダット号の息子ということで
ダットソン(DATSON)として1931年に発売
しかしダットソンでは損に通じるからDATSUNに変更しました。
ちなみに最初の純国産ガソリン自動車は1907年に
山内駒之助よって作られました。
トヨタは1935年にA1型という最初の乗用車を試作し、
同じ年にG1型トラックを発売しました。
スバル360(1958年)

1955年に日本政府にから発表された国民車構想にのっとって初めて作られたのがコレ。
1958年発売。
国民車構想とは「定員4名または2名、最高時速100km以上、価格25万以下」など
の条件を満たした自動車を作って日本に自動車を普及させようというものです。
スバル360の価格は、この条件を満たせず42万5千円でした。
夏休みの自由研究はここまで
ココの一番の目玉はコレ
チゼータ
何だかんだと書いてきましたが、これが見たくてここに来たワケです。


フェラーリ・330GT・2+2
1963年に日本に初めて輸入されたフェラーリらしいです。

マセラティ・クワトロポルテ

シトロエンSM

アルファロメオ
ギアによる試作車
世界で初めてフェンダーとボディをツライチにしたクルマらしいです。


この他フェラーリ275GTB、デイトナ、BB、F40、F50、
カウンタック、ランチア・ラリーなどがあり、かなり見応えがありますが、
開館しているのは8月のみです。
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